香筆(こうひつ)
塔上月扉
【身分違いの恋と、突然のチャンス】
幻想、怪奇、19世紀~20世紀初頭、ヨーロッパ、貴族、身分違い、策謀
◆あらすじ
貧しい文筆家の若者は、いつものように貴族の令嬢からの代筆依頼を受けた。
しかし今回の依頼主である令嬢に、若者の心はときめく。
貴族の令嬢もまた、純粋な若者に心を寄せてゆく……。
しかし二人は身分が違う。若者には財産も地位もない。
結ばれるはずもない淡い恋。
そんな折、若者のもとに高額な報酬がもらえる依頼が舞い込んだ……。
◆目次(収録内容)
香筆
第一章
第二章
◆おおよその文字数
36,800文字
(目次・奥付などを含む)
◆立ち読みコーナー
出会い
文筆家は美しい文字を書く仕事をしている。
手紙を代筆したり、手書きの文書を丁寧な文字で清書したりする。
けれど、ただ読みやすい文字を書くだけではない。自分だけの字体をいろいろと研究して、優美な文字や悲しそうな文字、うれしそうな文字などを作りだしていた。飾り模様を付けたり、形を変えたり、絵を描き加えたり。
自分の作りだした文字で、書かれた文章と文字の雰囲気がぴったりとあった時、文筆家はこの上ない満足感を抱く。
美しい文字で書き上げられた文章は、それだけで額に入れて飾られるほどの芸術品となる。
文筆家は、そんな美しい仕事をしている。
だが、貧しかった。
もっともほとんどの芸術家が貧しいのは当たり前のことだ。生活必需品ではないからだ。人気者になり仕事をひっきりなしに依頼されるか、後援者がいるのでない限りは、芸術家というのは貧しいものなのだ。
だから仕事のために文字が書けない人たちの代筆や、写本の仕事もしている。
けれど希望に満ち、心は満たされていた。
なぜなら恋をしていたから。
その恋は両思いだったから。
恋人は、麗しい子爵令嬢。
平民の文筆家にすぎない男が、本来接触を持てる相手ではなかった。
文筆家に仕事を斡旋している仲介商人の紹介で、屋敷に呼び出されたのが出会いだった。
平民だから当然のことながら屋敷にすら入れてもらえない。
庭に呼ばれた。
「この詩をお前の文字で飾ってちょうだい」
それが彼女の第一声だった。
平民は深く頭を下げたままだった。貴族に声を掛けられて、初めて顔を上げる。
そして令嬢を見た。
自分たち平民とはまるで違う着飾った豪華なドレス。細い手首。ティーカップを持ち上げられるとは思えそうにないほど細い指先。首もほっそりとしている。そして顔は……女神かと思えるほどにまぶしく輝いて見えた。
「か、かしこまりました」
「紙とインクは用意したわ。これを使うのよ」
ちらりと文筆家を見た令嬢は、あらっ?と表情を変えた。
平民にしては小ぎれいにしているが、着古された服。けれど初々しさを残した若い真面目そうな顔や引き締まった体つきは、令嬢の目に留まったのだ。
それが二人の出会いだった。

